4/22/2024

ドローン音楽

 最近DTMだかDAWだかをまた始めたということは書いたけれど、
どうなんだろう?
1からコツコツ楽譜を書いて曲を作ることもできるけれど、
DAWのクリップを並べて行くだけでも音楽(らしいもの)はできる。
はい音楽です!って言ってもいいのだけれど、
どうなんだろう?

前にちょっと愚痴ったことで、ノイズ音楽や偶然の音楽とかが、
もっとプリミティブなエレベータ音楽よりも高尚なもののように
扱われているのは何故? と思ったことがある。
だってクリティカルな発振ポイントを見つけて面白そうな
音を出しているだけだ。
あるいはシンセサイザーのやはり音の共振あるいは音の発生原理
そのもののせいで音が変化するのを「音楽」だというのは
どうなの?

たぶん抽象絵画に近いものがあるのだろう。
適当にキャンバスに絵具を跳び散らかして「アート」ですって。
それに近い。というか同じだ。

しかしピカソに代表されるような抽象絵画は全く別だ。
練りに練って自分の絵を描いている。
結果的に両方を見ると同じように見えるかもしれないけれど、
全く別なものだ。と思う。

偶然性を狙った芸術は猿にでもまかせておけばいいと思う。
そうそう、今回のタイトルのドローン音楽だけど、
最近は「ドローン・シンセ」と居直ったような名前のシンセがある。
たぶん適当につまみをいじればそれっぽい環境音楽(アンビエント)
が勝手に鳴り始める。
それはもう音楽ではなくて、そのまま「環境音」なんじゃないだろうか。
自然音だ。
だからもう蜂の羽音をマイクで拾っても同じだ。

だからどうした?ということだけれど、
シンセを鳴らしているとほとんどシンセ任せなような音で
曲を作っているんじゃないか?と心配になる。
自分はこの音(音楽)にどこまで関与しているんだ?
という疑問だ。








4/21/2024

夢は夜開く

もうどうでもいいことなんだけど、
昨日車でラジオを聴いていたら「夢は夜開く」がかかった。
ああ、小林勝也さんの番組だ。
それで「十五、十六、十七と~」と歌っているのだけど、
明らかに「じゅうひち」と言っている。
前にも書いたけれど、私はごく最近まで「7」は「ひち」だと思ってた。
ずっとそう使ってきた。それを誰かに注意された。
「ひち」は”間違い”で「しち」が正しい、と。
家に帰って来て藤圭子の歌を改めて聞いてみた。
2種類聞いて、どちらも「ひち」と言っている。
これは間違いない。
ʃ
の音は聞こえない。
明らかに[ ç ]「hi」と言っている。

よくよく調べてみると、やはりある割合で「ひ」と言ってる人がいるようだ。
”決して”「ひ」は間違いではない。
ということがわかった。

だからどうした?

4/20/2024

インセプション

 今朝妻が観ていたので一緒に観ていた。
途中で思い出したのだけどこの映画はまずい。
そうだ子供が出てくるんだった。
それで途中で抜けてきた。

私の夢に子供達が出てくる。
ほとんどまだ4,5歳のままだ。
私は「ああ、良かったまだ子供だったんだよね」
と安心して抱きしめる。
そういう夢を何度も見る。
辛い



           
 











4/19/2024

Echoic memory エコーイックメモリー

 これはおもしろいなぁ。
カクテルパーティー効果を調べていてこの言葉があった。
確かになあと思う。
特に雑踏の中で、ある言葉の断片が聞こえたらそれに続く「音」を待って
先の言葉を判断する、というようなものらしい。
英語の聞き取りなんかでもそうだが、この場合はもっと時間が短い
ものを言うらしい。
たぶんある音の前後を判断しているのではないだろうか?
ある断片的な音(はっきりした音)の前にある小さな音も必要だし、
それに続く小さな音も必要だ。
これは何かに似ている。
音声圧縮などの時にやはり前後の音を参考にしながら
カレントの音を決めて行く。それに似ている。
耳の中(頭の中)でこれをやってるらしいというのは面白い。
ドラレコが衝撃の前後も録画しているのに似ている。

・・・と思うのだけど、はたしてこの解釈で合っているのか?



4/18/2024

昨日の夢

 合宿だった。
何の合宿だったのだろう?
たぶん高校生時代。
いや、それの同窓会だ。
私は無視されている。
何か発言するが無視される。
私は何もしゃべらないことにする。
私以外のところで皆楽しんでいるようだ。
いやな感じだ。
前に見た夢の場面を思い出す。(夢の中で)
(あいつは面白くない、みんなに無視される)
その会がお開きになる。
私は一人そこを去る。
次のシーンは札幌らしい。
私とオリーブと吉野と他にだれかいる。
皆でバス?を待っている。
吉野がチケットをくれる。
もうすでにオリーブは嫌いだから
私は話しかけない。
吉野が何か話しかけてくる。
私は笑って何かこたえる。
何だったか覚えていない。
いる場所は坂道の終わりの古い駅前のようなところ。
道路、広場は舗装されていない、泥道だ。
しばらく待っていると坂の上からおかしな車が
猛スピードで降りてくる。
良く農場で見る農薬の散布車の大きな感じのやつだ。
後ろに長い箱のようなものを引っ張っている。
それが広場に着くと皆それに乗り込むが
その時小学生が大勢とさっきの同窓会の人達も一緒に
乗り込んでくる。
箱の中は思ったよりもずっと広く
電車の2両分くらいある
私はその真ん中くらいに吉野の隣に座る
「これ飛行機に間に合うんだろうか?」
とわたしが言う。
吉野は「だーいじょうぶ、だいじょうぶ」
といつものように軽く言う。

間に合ったかどうか知らない。
時計を見ると4:30
外はもう少し明るいようだった。
また寝た

4/17/2024

DTM

 私はMTRで生録音で音楽を作っている。
それでずっとやってきたので慣れているというか
それが自然だと思っている。
一方DTMだけれどもう20年以上前はそれでやっていた時もあった。
STEINBERGのCubaseを使っていた。
その頃はクリップとかの概念は無く(有ったかもしれないけど使っていない)、
まあMTRとほぼ同じ使い方をしていた。
違う所はパートの入れ替えや開始終了タイミングを自由に変えられるところ、
細かな編集が画面上でできることだろうか。
たぶん当時でも音声のピッチを自動で修正できたと思う。
でも使っていなかった。
まあ、MTRと同じ使い方をしていただけだ。

それで最近DTMをやってみようと思った。
理由はドラムやパーカッションのクリップの種類がたくさんあって
それをベースに作ったらどうか?と思ったからだ。
それでDTMソフトをいろいろやってみると、
なんていうか、もう全てをソフト任せでも曲が作れることがわかった。
そうなると一体人間は何をしてるんだろう?と思う。

ドラムスのリズムを適当に選んで並べて、ベースを重ねて
ブラス、ストリングス、エレキなどのクリップをそれらしく
並べると曲としては(言わなければ)それっぽく曲に聞こえる。
少なくとも動画のバックかなにかで流す分には十分だ。

世のオリジナルの曲なんかも半分くらいはそんな風に
作っているのではないだろうか?と思ってしまう。
別にベースが弾ける必要も無いしドラムをたたく場所も要らない、
少なくても歌う声は要るだろうと思うけれど、
それだって歌詞を入れれば歌ってくれるアプリもある。
そうなると音楽っていうものの存在が怪しくなる。

前から思っていたのだが公の場で流れているBGMというか
環境音楽というかエレベータ音楽と言うかを良く聞いてみると
人間性が感じられない。
あれ、たぶんそういう自動ソフトで作っているんじゃないか?
と思う。
他にもそういうものはたくさんあると思う。
音楽はやっぱり手作りであって欲しいと思う。

そんなわけでDTMで曲を作ってみよう!
と思う。


4/16/2024

パスタとデジャヴと夢

 このブログを見ている人が最低4人いるようだ。
つまり最低4人で多い時は十数人。
その4人の人2人くらいまではわかるけどあとはわからない。
と言うのも自分からここを教えた人が2人だから。
こんなねえ、単に自分の記憶と記録と思い付きを書いただけのブログ
を読んでいるとは本当にわけがわからない。
だいたいタイトル文句を検索してもここは出てこない。
よっぽど300回くらい深く検索したらでるかもしれないけど。

そう、それが何の問題があるかというと、
ひょっとしたら私は誰かがここを読んでいることを意識して
書かなくてはいけないのだろうか?ということ。
でもそんなことはしない。
消えてしまうと困るので公開はしている。
だからって誰かが読むことを意識して書くとFBみたいになってしまう。
・・・ので、やらない。

昨日お昼にパスタ料理を作っていた。
キッチンでフライパンに入れた具材とパスタを混ぜていた。
その瞬間「あ、これは夢のシーンだ」とわかった。
今から3年くらい前、まだ横浜にいた時に見た夢だ。
その夢ははっきり覚えている。
「広い、あたらしいキッチンはいいねえ~」と言いながら
パスタを混ぜていた。
そのシーンだ。
「ああ、このシーンだったのか!」と思った。
デジャヴのように、
記憶が蘇った。
そのイメージはしばらく頭に残っていた。

何度かそういうシーンのことを書いてきたけれど、
今回のはかなりはっきりしていた。

この写真はネットにあったものだけれど、鍋の色と
トングが今使っているのと同じだ。
こういう感じのシーンだった。



4/15/2024

タナトフォビア

 知らない人は世の中のこの症状について誤解していると思う。
タナトフォビアはただ単に「死ぬことが怖い」というような
ものではない。これはパニックだ。
子供の頃に何度もなった。
何が起きているのかはわからない。
しかし頭の中で無音が鳴り響き、
見えているものすべてが怖い。
もう死がすぐそこまで来ているように思う。
これは誰にもどうにもできないことだと直感する。
とにかく恐怖しかない。
まだ小さかった頃は家まで駆け戻って
母親の膝に潜り込んでそれが過ぎ去るまで耐えた。
学校で起きた時は座り込んでいた。
友達に気づかれないように。
「大丈夫?」とか言われた時は
笑って「うん、なんでもない」って言ってごまかした。
友達が言うことに生返事をしているうちに
パニックはおさまって行った。

そのパニックが収まった後は、
とにかく「死」やそれに関することはなるべく見ない、
考えない、聞かない、と心に強く思って
一日を過ごした。
とにかく少しでもそのパニックに引っかかると
持って行かれるので、触らないようにしないといけない。

ただ単に「死ぬのが怖い」という症状ではない。

4/14/2024

フォークソングと反戦歌

 というのは自演できるムード音楽じゃないかと思う。
一番最初に聞いた「フォークソング」は何だったろう?
と思い出せるのは「トム・ドゥーリー」か「漕げよマイケル」か
だと思う。いずれも当時歌っていた。
歌っていたけれど意味(訳)はわからなかった。
マイケルの方は、まあ船を漕いでるんだろうな、
くらいしかわからなかったし、トム・ドゥーリーにしても
それがどんなにひどい歌詞かわからずに歌っていた。
そこからが始まりだったように思う。
「ドナドナ」「わが祖国(This land is your land)」
「花はどこへ行ったの」「雨を汚したのは誰」
「パフ」「悲惨な戦争」「ハンマー持ったら」
上げていたらきりがないけれど、
ものすごく多くの意味の分からない歌々、
それらの歌を学校で広場で舞台で公園で歌っていた。
私は意味が分からない歌はそれはそれでいいと思う。
歌一つ一つの歌詞の意味を説明しながら歌っていた人
を私は見たことが無い。
だいたいの意味とか趣旨を説明して歌っていた人は
もちろんいた。

私が仲間と歌を歌っていたのはその「歌の意味」を
歌っていたのではないような気がしている。
歌はあくまでも歌であり、その場の雰囲気を盛り上げるため
というか、自分たちの行動を鼓舞するためとか、
そういう意味だったように思う。
だから正直に言えば「歌で世界が平和になる」とは思っていなかった。
仲間と一緒に歌うことで自分たちの連帯感を強めるためとか、
一緒に歌うことで目的性をはっきりさせるとか、
そういう意味だったように思う。
(1965年から1975のことだけれど)

「じゃあみんなで反戦歌を歌おう!」というシュプレヒコール
はありえない。歌は何でも良かった。
よっぽど反動的だったりあまりに日和見的だったりした歌
以外は何でも良かった。
つまり何が言いたいかというと、反戦的だったのは人々の行動
であり、歌ではなかったということ。
だから昨今のライブやネットで盛んな弾き語りで
「これは反戦歌です」とか「ウクライナのために反戦歌を
歌います」とかいうのは違うように思う。
「反戦歌」などというのは元々存在しなかった。
「反戦する人間」がいるだけだと思う。
自分が平和を願う人間だということの
表明として平和を願う歌を作ったのではないだろうか。

「ウクライナの平和を願って赤とんぼを歌います!」
って言う方がまだ反戦歌的だと思う。
反戦歌を歌うことが反戦じゃない。
平和を願う人ならどんな歌でも反戦歌になりうる。

「500マイルという反戦歌を歌います」って言ってる人がいた。
思わず「え!どこが反戦歌なんですか?」と思ってしまった。
そういう発言が多すぎる。
正しくは「私はあの戦争に反対しています。500マイルを歌います」
じゃないだろうか。

いや、それは今始まったわけじゃない。
1960年代からそうなんだ。
反戦歌を歌うことが反戦だと思っている。
歌なんか歌ったって戦争は終わらない。
平和のために何か行動しているか?
が問題だ。
(すみませんお母さん、私は今何もしていません)

何もしないで歌だけ歌って「反戦です」って、
それでいいのか?



4/13/2024

擬態

 今住んでいるのが山なので虫たちがいるのだけど、
先日ナナフシをみつけた。
ナナフシはそれなりの木の枝に居れば周囲に溶け込んでしまう
わけだけれど、先日見たのは大きな幹にへばりついていて
一見してそれとわかる姿だった。
つまりあまり擬態が効果を発揮していなかった。

いつだったかテレビのドキュメント番組でやはり森に住む虫の
擬態をやっていたのだけど、その擬態がちょっと不思議で
木の下の人間が見るとまるで別の物に見えるという擬態だった。
それが何だったかはっきり覚えていないのだが、
木の下にいる人間が見た時に限ってその形に見える、
という擬態だった。
つまりその擬態は人間がどう見ているかを知っていないと
できない擬態だった。
それを見た時不思議に思った。
なぜか「彼」は人間がどう見ているのかを知っている。
どう擬態すればそういう風に見えるようにできるのかを
「彼」は知っている。
これはとても不思議なことではないだろうか。

今では擬態は長い年月をかけた淘汰の結果、ではないという
のが通説になりつつあるらしい。
つまりそういう風に進化したわけではないらしい。
もっと早い時間でそういう進化ができるような遺伝子が
存在するらしい。
スーパー遺伝子によって擬態ができるようになったらしい。

それはそれでいいけれど、なぜ”外から見た時に”
”そういう風に見える”ことがわかるのだろう?
そっちの方が不思議だ。

私が他人からどういう風に見えるのか私にはわからない。
またどうすればイケメン風に見えるのかその術を知らない。


4/11/2024

野辺山の電波天文台

 前に行ったことがあったような気がしていた。
でも行ってみるとたぶん初めての場所だった。
まず、記憶の方だけれど道に車を停めてそこから遠くのパラボラ
を見たような気がした。

しかし行ってみると近くの道からそのパラボラは見えなかった。
いや、見えたけれどちゃんと大きくは見えなかった。
だからその記憶は怪しい。
怪しいけれど八ヶ岳の周辺を車で走ったのは覚えている。
真冬に山の方に向かって走っていたら、
途中で雪で車が動けなくなった。
なんとかそこを抜け出して雪の無い道に戻ったことがあった。
あれは八ヶ岳だ。
だからその時に野辺山のパラボラを見たかもしれない。
あまりに遠いことだ。

巨大なパラボラはグーグーと音を立てて回転したり向きを変えたり
していた。どこで動かしているのかわからなかった。
真下で見ているとその大きさといかにも重そうな機械が
動くのはちょっと怖い。
2010だったかでアメリカの電波望遠鏡が出てきたのを思い出した。

その場で実際に動いているのを見ると、
「これほんとにやってるんだ」と思った。
映像でみているだけではどこか遠くのおとぎの国でやっている
ような気がしたけど、ほんとにこれで見ているんだ、と感心した。
昼間だったけれど電波望遠鏡は夜でなくても観測できるから
実際に何か見ていたのかもしれない。

光学望遠鏡は調布の東京天文台や堂平山の天文台で見ていたから
イメージしやすかったけれど、電波望遠鏡は初めてだ。
敷地内にはこれより少し小型の物が数基とさらに小さな物が
十数基?あったけれど、あれも全体で一つの望遠鏡を構成する
のだろう。

しばし現実から逃れることができた。

4/07/2024

誕生日

 今年も誕生日が来た。
74回目だよ。
フェイスブックに30人近いHappy Birthday!が来た。
全部に一応返事を書かないといけない。
その面倒くささはもう諦めた。
問題は返信していない人がいないか?だ。
だいたいFBは全ての書き込みを一度に出してくれない。
小出しに出すから何人かは別枠で出てくる。
それを見忘れたら大変。
非常に気を遣う。
だいたい日本と外国では1日ずれるから
遅れて入って来る分がけっこうある。
結構あると言っても「友達」何千人も登録されている人
は大変だろうけど、友達は100人くらいにしているから
たいしたことは無い。
たいしたことはないけど何十人かはあるので
それが面倒だ。