4/30/2016

不確かな過去

そうすると「過去」の歴史とかはどうなんだろう?
「過去」に起きたことは確かなのだろうか?
それは確かなのだろう。
起きたことなのだから。
それは記憶に残っているし、何かに記述されている。
しかし、それは記録であって過去そのものではない。

例えば500年前に起きたことは確かにあったことなのだろう。
しかし、もしも時間を過去に進ませることができたとしても、
過去の記述通りに戻るわけじゃない。
つまり映画のフィルムを戻すようにはならない。
戻そうとしたとたんフィルムは現在の1コマを除いて
真っ白になってしまう。

過去に向かったとたんに過去は不確かなものになり、
未来が不確かなことと同じように、
過去に何が起きるかは不確かなことになってしまう。
シュレディンガーの方程式の時間が負の場合は
そういうことを言っているのだろう。

4/28/2016

時間のスケール

だいたい時間が遠い過去から永遠の未来までまるで物差しのようにつながっている、
というイメージはどこから生まれたのだろう?
子供の頃からだろうか、それも学校で歴史年表みたいなものを見たのが始まりだろうか。
物差しのようになっているというイメージがあるからタイムマシンのような考えが浮かんで
しまうのだろう。
しかし、おそらく時間というものはああいう風にはなっていない。

未来がほんの一瞬先でもどうなるかわからないのと同じように、
過去も一瞬前がどうであったかも同じ不確かさであるはず。
というのもシュレディンガーの方程式が負の時間でも成り立つらしいからなのだけれど、
それをずっと考えていたら、その方が自然のように思えてきた。

だから時間を長さのあるものでたとえてはいけないのだろう。
時間と言うのは「一瞬」でしかない。
…これも変な言い方かもしれない。
「一瞬」と言った時、頭では位置的なイメージを描いてしまうから。
それじゃあ、時間とはいったい「何のような」ものだろう?

ディスプレーに写る映像はどうだろう。
映像それ自体は絶えず一瞬しか画面上に存在しない。
ただし映像に投影される映像はビデオテープやビデオ信号のように記録されたもので
あってはいけない。ビデオ映像だとまた戻すことや進めることができてしまうから。
でもまあ、時間のたとえとしてはいいような気がする。

画面に何が映るかは、正の時間でも負の時間でも同じように投影される。
画面に映るものは時間の正負にかかわらずある確率を持って投影される。
我々は時間が正であれ負であれその画面に映る瞬間の映像を見るしかない。
その映像は絶えず変わって行き、元に戻すことはできない。

そういう状況ではタイムマシンなどという概念すら意味を持たない。
100年後も100年前も確率的にしか語れない。
それでいいような気がする。
-

4/26/2016

ビジコンからハイビジョン映像

1981年にオーディオの会社からパソコン関連機器を作る会社に移った。
パソコン関連機器というのはその頃まだ「マイコン」と言っていたボードコンピュータを
コンピュータに作り上げ、それに画像処理機能を組み込んでいたものだった。
その頃のCPUは6802だった。その後6809を組み込んでいた。
OSとしてFLEXを使っていた。

その画像処理機能だけれど、ビデオ信号入力からビデオメモリーとそのメモリーをアクセスするためのインターフェイス、それとビデオメモリーの出力をまたビデオ信号に戻して出力していた。
たぶん、画期的なものだったと思う。
その全体の開発に私は関係していなかったけれど、ビデオ信号処理の部分に少し改造を加えていた。

当初は入力となるビデオ信号元はビデオカメラ、それもビジコンかサチコンを撮像素子に使ったものだった。あちカルニコンというのもあったと思う。
いずれにしても解像度は低く、水平が200くらい垂直は240くらいだったのだろう。
少し良いもので300×240くらいだったと思う。
だからビデオメモリーも256×256画素のものだった。
深さは4ビットで16階調だった。

それを6809ボードから制御していたが、インターフェイスを付けて、その頃出始めたパソコンにつなげるようにしていた。PC-8001やMZ-80,FM-8などだった。
インターフェイスは上下アドレスをパラレルIOでセットしてそのデータを読み書きするものだったから、処理速度は遅かった。8ビットコンピュータで1画面全部を書き換えるのに数分かかっていたと思う。後に16ビットのPC-9801が出てからも1秒くらいはかかっていたように思う。
その後に、パソコンのメモリーマップの中で直接アクセスできるよういにしてかなり早くなった。

そこに至ってもビデオ信号はあまり変化なかった。
撮像素子がCCDに変わって安定はした。特に焼きつきや残像が無くなったので、産業用に使うには条件はかなりよくなった。
しかしNTSCの制約のために解像度はほとんどよくならなかった。
イメージメモリーは512×512に変わったけれど、実際の解像度はそんなに良くなかった。

ビデオ信号のアナログ処理部はほとんど確立されていたのだと思う。
当時世に出ていた回路図はほとんどテレビ受像機の回路が基本になっていたように思う。
そのため画像入力装置のAD変換の前段の回路はそれを継承していた。
たいていはトランジスタ2,3石で作られていた。
アナログテレビ受像機の場合ビデオ信号のDCが多少変動しても平気で写っていたけれど、
AD変換ICはその変動をまともに受けていた。だから明るい場面から暗い場面に変わるとDC変動によってデジタルデータは大きく変わってしまった。
同じ白いものでも画面の中にある大きさによってその値が変わってしまった。

従来のビデオ回路でもクランプ処理というもの行ってある程度ビデオ信号の安定化を行っていたけれど、ビデオ信号処理にはむいていなかった。
それで、クランプ回路を作った。
最初はビデオ信号の同期パルスの底を検出してその変動をビデオアンプにフィードバックする方法を考えた。それは何も参考回路が無かったので、自分で考えたものだったけれど、とてもうまく動いた。DCの変動はほとんど無くなった。それはその後改造してぺディスタル部分を検出してペディスタル部分のDCを固定する方法に変えた。

ずっと後になって他のメーカーの回路図を見ることがあった。それを見るとビデオ入力部分の回路が私の回路とほとんど同じだった。
きっと同じことを考えたのだろう。真似されたとは思わなかった。
だいたい電子回路なんて目的が一緒だったら同じような回路になるいはず。


それから、ある時の画像処理展で、あれは確かTIだったと思うけれど、1000×1000くらいのCCD素子を出したと思う。
その頃からこう解像度のビデオに世の中は移っていったのだと思う。
NTSCを離れて独自のビデオ信号のカメラが出始めていた。
でもコンピュータの方がそれに追いついていなかったように思う。
複雑な処理になるとかなり遅かった。
いずれにしてもPC98の時代が終わりDOS-Vになってからだったと思う。まともな処理ができるようになったのは。

考えてみると256×256のメモリーボードがA3サイズあった頃から考えると、Go-PROがあの大きさでハイビジョン映像を記録できるのは驚異的だ。
いや、大きさとしてはもっともっと小さくできるのだろうけど。

4/12/2016

高層マンションと子供

昨日のニュースを聞いて、もうひとつ古い映画を思い出した。
あれも海外のショートフィルムだったように思う。

アパートの一室で母親と子どもが暮らしている。
母親が家事をしている間に、子どもがベランダに出て柵に上って遊んでいる。
母親はそれに気づかない。
子供は柵の外に身体を乗り出しているうちに手を滑らせてしまう。
子供はかろうじて柵をつかんでいる。

母親が子供を探して呼ぶ。
でも返事が無い。
どこを探してもいない。
そこで母親は思い出す。
以前冷蔵庫に入っていたことがあった。
子供は雪になりたかった。(とかだったと思う)
母親は急いで冷蔵庫に走る。
ドアを開けるが子供はいない。

部屋のドアを開けて出てはいないはず。
母親はぼんやり窓を見る。
柵の下に子供の手が見える。
母親は急いで走って行って、その手をつかむ。
しかし、柵を通してつかんでいるのでどうしようもない。

母親はなんとか子供を上に上げようとするが、
できない。
そのまま時間だけが過ぎ、
子供も親も手の力がなくなって行く。

子供は空を飛ぶ空想をする。
子供が言う。
「お母さん手を離していいよ、僕は空を飛んでふんわり地面に降りるから。」
「大丈夫だよ」
母親は子供を叱り付ける。

そうしているうちに、道路を歩いていた人が二人に気がつく。
みな空を見上げて大騒ぎになる。
そこにいた一人の若者がそのアパートに駆け込み
階段を上ってその部屋にたどり着く。
ドアを開けようとするが、鍵がしまっていて開かない。

(ここから記憶が不確かだけれど…)
たしかその若者は人のいる部屋を探す。
そして上の階に人がいて、その部屋のベランダに出て
パイプ等をつたって親子のいるベランダにたどり着く。
そして子供の腕をつかんで部屋に入れようとするが、
母親は子供の手をつかんだまま離さない。

もう大丈夫だからというが手を離さない。
でもそれは手を離さないのではなく、
母親の手が固まってしまい、離すことができないのだった。
やっと母親の手を離して部屋に入れるが、
母親の手は子供をつかんだ格好のまま戻らない。

地上では歓声があがる。


というような映画だった。
あれは何という映画だったのだろう?
記憶ではMotherだったように思うが。


















4/10/2016

ショートムービー

あれは誰の何と言う映画だったろう?
かなり以前のことだけれど、YAHOO?のショートムービー紹介のところにあった映画。
確かその監督の友人がライフルで自殺してしまったという実話に基づく映画で、

その映画は主人公が野原の真ん中で車だったかの上に座って
ライフルをくわえて自殺しようとしている。
足で引き鉄をひこうとすると、どこかから赤ん坊の泣き声がする。
彼はライフルを置いてその声の主を探し始める
すると赤ん坊が置き去りにされているのを見つける。
彼は赤ん坊を抱き上げ、その子を連れてそこを立ち去る。

というような内容だったと思う。
監督はその自殺した友人をどうしたら救えただろう、と考えたのだろう。
とても感動的な映画だった。

4/02/2016

YouTube Creator Day


なんだかわからなかったけれど、面白そうだから行ってきた。
その前に、このお知らせのメールが来て「抽選で参加できます」というので申し込んでおいた
わけなのだけれど、みごと当たったわけです。
これがどういう条件で選ばれたのかわからなかったが、当日プレゼンターが言った言葉で
恐らくチャンネル登録者数1000人以上から選ばれたのではないかと思った。
私はその下限ぎりぎりだ。

 
この会場はほぼ満席だった。
まだ誰もあまり来ないうちにこの写真を撮ったので椅子しか写っていないが、一番左に立って
いる女性がプレゼンターの一人。
私は前から2列目に座った。
 
正直なところここで何をするのかわからなかったけれど、まあ何か説明を受けるのだとは
わかっていた。
二人のプレゼンターが1時間交代でプレゼンを行った。
                                
                        もらい物1(アメちゃん)

 
内容は「いかに集客するか」に尽きる。
二人のプレゼンターは非常にわかりやすくその説明をしていた。
私も利用していなかった機能をいくつか知ることができた。
ただ、私は単に集客目的でチャンネルを管理していない。どこからかの検索で私のところに来て
動画を気に入ってくれる人がいたらラッキーとしか思っていない。
しかしおかしなもので説明を聞くうちに「なるほど、そうすればもっと見てもらえるのか」と
納得してしまうものがある。
説明も良かったのだけど、ああいう内容はYouTubeで研究・検討されているのだろう。
 
                         もらいもの2(マグカップ)
 
 
私としてはもうすこし来ていた人たちと自由に話ができればよかったとおもうけれど、
時間に制約されていたのでしかたないかもしれない。
例えばプレゼンを1時間にして後は交流のために時間にしてもらえたらよかったかもしれない。
音楽関連のチャンネルをやってる人が多いと言っていたけれど、私はそういう人とは話が
できなかった。
途中20分くらだったろうか軽い食事とカップケーキなどを食べながらグループに分かれて各自の
チャンネルを説明してコラボ相手を探すという時間があった。
味はともかくこのYouTubeカップケーキは街で売ったら売れるだろう。かわいらしかった。
 
結局のところ、あの集まりに行って良かったと思う。
ああいうプレゼンを受けるのは実は初めてだ。私の時代にやっていたのはプロジェクター
と白板を使ったプレゼンの方法だったから。今のプレゼン方式ではレジュメもいらないし、
必要なところをスマホで撮っておけばいいから理解はしやすいだろうなと思った。
それにヒルズのビジネスフロアーに入ったのは初めてだ。
 
 
 
 
いずれにしてもあれを自分のチャンネルに反映させるのは少し時間が必要みたいだ。
 
もう一つもらい物があった、プレゼンの説明が書かれたブックレットとステッカーだ。
ステッカーはどこに貼る? ギターケースにでも貼るのだろうか。