5/31/2017

MTR

今日気が付いたのだけれど、今まで使った(買った)マルチトラックレコードの数が
けっこうあることに気が付いた。トータル金額はいくらになるだろうか。全部無駄だ!

最初に使ったマルチトラックのレコーダはSONYのオープンデッキを改造したものだった。

確かこれだと思うのだけど(写真はネットから)、鎌倉山で録音したのはこのデッキだったと思う。
その後このヘッドを直列のものに改造して4チャンネルの独立した録音ができるようにした。
たぶん今それがあって音を聞いたらあまり良いものではなかったと思う。でもちゃんと録音できた。
だからこれが最初のマルチトラックレコーダだったと思う。

その後中古で買ったのがこれだった。TEACのA3340とか言ったと思う。


これは4チャンネルの独立した録音ができたけれど、これで何か歌を録音したことは無かった。
ほとんど再生にしか使わなかったと思う。


たぶん次に買ったのがこれだったと思う。
ヤマハのCMX-100だか1000だかいうカセットテープを使ったMTRだ。
これは倍速で録音することができた。
何か曲も録音したりした。

しかしやはりカセットテープなのでヒスノイズがあって、興味本位で買ったけれど、
それほど使わなかったと思う。これは友人にあげてしまった。

もうひとつ同じ頃にかったのがこれだった。TASCAM 488とか言ったと思う。
YAMAHAよりトラック数が多かった。でもこれもやはりカセットテープで音がいいとはいえなかった。これはけっこう使ったように思うけれど、その音が残っていない。

その頃MDを媒体としたMTRが出始めた。
でもMDのMTRは結局買わなかった。
その後に使ったのがFOSTEXのVF80とかいうハードディスクレコーダだった。

さすがにデジタル録音なのでノイズや音質は良かった。
これで録音した曲はいくつかどこかに残っていると思う。
使っていての不満はレコーダ自体の音がうるさいことだ。
後のMTRは録音中はファンを静音状態にしたりするがこのレコーダはずっとファンの音がしてる。
だからマイクとレコーダは離しておかなければいけなかった。
これは誰かが借りて行って帰ってこない。

その次がこのKORG D12だ。
このあたりからずっとKORGを使い続けている。なぜなら使いやすいのと音がいいからだ。
この頃は主にこれをメインで使って、スタジオとかに行くときは小型のレコーダ、
KORG PANDORA PX4とかいうのを持ち歩いていた。
このパンドラは媒体がスマートメディアで、じきにスマメは街で見なくなった。
それで持ち運び用に買ったのがZOOMのH4だった。


これは、適度に大きくて使いやすかった。また音が抜群に良かった。
内蔵のマイクでいろいろな音を録りに歩いた。百里でジェット機の音なども録った。
一応4チャンネルのマルチトラックレコーダだ。

その後がこのBOSS BR600だ。
これはノートくらいの大きさと重さしかなく鞄に入れて持ち歩けるので便利だった。
ただ使っているうちに気になったのがチャンネル同士のクロストークだ。


静かな音をあるトラックにいれるとどこかのチャンネルの音が少し漏れてくる。
最終的な音になった時は気にならないかもしれないけれど、どうしても我慢できなくて
息子にあげてしまった。

その後に持ち運び用に買ったのがTASCAM DP-008だった。


これはとても良いレコーダだと思う。
全て直接的な操作で行える。内蔵マイクもついていて良い音で録音できる。
これは今でも使っている。ただ一つの問題は電池の消耗が早いということ。それでACアダプター
で使うことになるのだけれど、そのコネクターが調子悪い。
ちょっと触ると接続が切れてしまい知らない内に電池動作になって電池が切れてしまう。
ということが何度もあった。それでACアダプターのコネクターを接着剤で固定して使って
いるが、それでも何かの拍子に切れてしまうことがある。
ただ小型ですごく使いやすいのでまだ使っている。

それで、安定して持ち運びで使えるものが欲しいと思い、これを買った。
ZOOMのR8だ。


これは特に問題も無く、順調に動いている。
だからスタジオにはこれを持って行っている。
ひとつ問題があるとすると私がZOOMのマンマシンインターフェイスにどうしても慣れないことだ。
だからほとんど生音の録音にしか使っていない。

家で使うMTRは長いこと先のKORG D12を使っていたがそのあとはKORG D1600をずっと
使っていた。
これは
16トラックを独立して使え操作もわかりやすくとても良いMTRだと思う。
ずっとこれを使っていたが、インターフェイスがSCSIしかなくて、CDへのWAVデータの
書き込みができなかった。いやできたのかもしれないけれどそのアプリの配布が終了
してしまっていて使えなかった。
それでMTRとPCで直にWAVのやり取りがしたかったのでやはり同じ系列で
KORG D1200MK2というのを買った。D1600は処分した。

操作や機能はD1600とほぼ同じでUSBインターフェイスが付いている。
これはとても便利だった。
だいぶ長いことこれを使っていた。YouTubeにアップしている音はほとんどこれを使った
ものだと思う。
それでこのD1200だけれど、実質独立したチャンネルとして使えるのは1~6の6チェンネル
だけだ。その上は2トラックずつの録音になる。まあ、コピーしたりして使えば12トラック
使えるのだけど、細かく音を入れていくとどうしても足りなくなる。
それで先日D1600Mk2の中古が安く売られていたのでそれを買うことにした、1万円だった。
ものはすごくきれいで全く問題なく使える。Mk2はUSBが付いている。
これは先のD1600にUSBが付いただけのものだ。
でも独立して16トラックが使えるしかも各チャンネルにヴァーチャルトラックがついているので
実質いくらでもトラックを使えるので便利。
KORGは各トラックの入出力に独立してイフェクトとイコライザーをかけることができ、
最終マスター出力にもファイナルイフェクトをかけることができる。このファイナルイフェクト
がとても便利。

たぶん後は新たに何か買うことは無いだろう。
これを最後まで使うことになると思う。













5/29/2017

3D

あれは1986年頃だろうか、地図を作っている大手の会社から仕事が来た。
それは航空写真を目で立体的に見ることはできないだろう?というものだった。
その地図データはレーザーディスクに記録されていた。そこから右(目)に相当する映像(静止画)
と左目に相当する映像を出して肉眼で立体的に見えるようにする。
右目と左目に対して独立した別の映像を見せることができればそれで済むのだけれど、
当時はそういう小さな高精細のディスプレイは無かった。

当時映画館でやっていた立体映像は赤と青のセロファンを貼った眼鏡で見るものだった。
それでも良かったのだけど、スマートじゃないので白黒あるいはカラー画像のままででき
ないだろうかというのが仕事の内容だった。

それで当時試験的に作られていた液晶シャッターを使ったゴーグルを使おうということになった。
そのゴーグルを作っていたのはビクターだった。
その現物はついこの前まであったのだけど処分してしまった。
写真は他の会社のものだが、確かこんな感じだった。
こんなボックスはついていなくて、ケーブルとコネクターがついているだけだったと思う。
この液晶シャッターは後になって低電圧でも動くものができたけれど、当時は数百ボルト
の電圧をかけないといけなかった。200ボルトくらいだったろうか。
電流はほとんどいらないので高電圧の矩形波を2相にして左右の液晶に入れてやればよかった。
この回路はうまく行った。
NTSCのビデオ信号が1フィールド60ヘルツだったので、とりあえず片フィールドのみで
試すことにした。60ヘルツの電圧を左右の液晶に入れてやった。

映像も1フィールドごとに左右の映像を切り替えなければいけないのだけれど、レーザーディスク
やビデオテープでこれを行うことはできなかった。
レーザーディスクは(当時)は出力信号が正規のものでなくモニターテレビに映ればいい、
という程度のものだったので正確に切り替えることができなかった。
それで方チャンネルごとに画像メモリーに入れることにした。
片フィールドなのでとりあえず256*256のメモリーに入れた。
2枚の画像メモリーは同期発生器を共有して同じタイミングで出力するようにして、
60分の1秒ごとに左右の映像を切り替えて出力した。
その左右の切り替えタイミングを液晶シャッターにも与えてやって目とモニターを
同期させた。

これはうまく動いた。
きちんと立体的に見えた。
それで確か一度収めたように思う。
しばらくして客先から「ちょっとおかしい」という連絡があって、出かけて行った。
そうすると「山が谷に見える」という。
私と一緒に行った同僚が見てみた。
私はきちんと山は山に見えた。
ところが同僚は「たしかに谷に見える」という。
私ももう一度見たけれどちゃんと山に見えた。
何度かやっているうちにわかった。
山は谷に見えるんだ。どちらがとがっているかは2枚の写真からではわからない場合が
あることがわかった。
最近よく見る顔の立体マスクが実は窪んでいる、というのと同じだった。

それをその後どうしたか忘れてしまったけれど、
ハード屋だった私の方は、レーザーディスクの同期信号が正規のものでない方が
重大な問題で、そこで使っていたレーザーディスクから正確に左右のデータを
引き出すことができずに辞めたような記憶がある。

あれはその後どうしたんだろう?
よく覚えていない。


5/27/2017

<読むに値しない・単なる覚え書き>

私の夢にはいくつかパターンがある。
パターンというかケースと言った方がいいかもしれない。
その一つは元の場所に戻れないという夢だ。
昨日見た夢は長いわりに全部覚えている。
忘れないうちに書いておこう。

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前半は忘れたけれど、友人の車でどこかに出かけるところだった。
その車には友人と子供(私の)が乗っていた。
その車で皆でどこかに行こうとしていたが、私が机の椅子を出しっぱなしだったことを思い出した。
椅子と机の間に国道が通っていて、私がいないうちに椅子が動くと交通の妨げになると思った。
それで私だけ降りて戻って、椅子を動かないようにしてくることにした。
友人の車は先に行ってもらって、私は後からタクシーで追いかけることにした。

それで車を降りて道を歩いて戻ろうとしていた。
国道は人はあるけないのでその脇の道を歩いていた。
道は舗装されていない土の道路だった。
国道は橋のように高架になっていたが、歩いている道路はその脇を深く下って
谷のようになっているところを降りて行った。
降りる道はでこぼこになっていてほとんどお尻をつきながら滑り降りる感じだった。

下に降りると田んぼ道だった。
あぜ道が途切れて、少し離れたあぜ道に移ろうとして歩けそうな場所を探した。
草が生えていて歩けそうな場所があったので、そこを歩こうとした。
すると草は表面だけで、下は沼のようになっていて足が太ももまで泥の中に入ってしまった。
なんとか抜け出すと足はドロドロになってしまっていた。
「これではどこへも行けない」と思った。

方向がわからなくなってしまい、そのまま歩いて行くと高台に出た。
高台には学校があって、生徒が体育の授業をしていた。
私は体操をしている女子生徒の脇を通って、
高台の端まで歩いて行くと、下は深い谷になっていた。
谷の底は草原になっていて、右手の方から雲か霞かが流れていて
美しい模様を作っていた。
黄色の大地の上に緑の灌木が生えていて、その上を真っ白の霧が流れていた。
「写真を撮っておこうか」と思った。
でもなぜかその時は写真を撮らず、また歩き始めた。

時計を見ると10時40分だった。
友達はもうどこまで行っただろう?
今からじゃもう追いかけられないかもしれない、と思った。
待っていてくれるだろうか?
と思いながら自分はまだ椅子を直しに行かなければと考えていた。

道路に戻って歩きはじめるけれど、道は起伏が激しく
その道を歩いて行くが、その方向が正しいのかさえ分からなくなっている。

(まだ続くのだけど、夢ってこんなに長く続くのだろうか?)

学校がある。
大学だ。
女子学生に誘われて一緒に授業を受けにいくことになった。
コンクリートの建物の一角にエレベータがある。
それで行こうということになった。
エレベータは大きな升のような形で、その縁に立って乗るらしい。
女子学生と向かい合わせになって乗るとエレベータは上の方に向かって
かなりの速度で登って行く。
下の地面が斜めになって見える。
エレベータは斜めになって登ると暗くなって、どこかの階に止まる。
そこで降りると廊下になっている。

見たような感じの長い廊下でその脇がどうも教室になっているらしい。
さっきの女子学生は?と探すがもういない。
廊下を歩いて行くと授業中のようだ。
私はその一室に入って座る。
何の授業なのか全くわからない。
教室には私の他2,3人が座っている。
私は単位はとれるだろうか?と心配している。

突然、街の中にいる。
私は誰かと歩いている。
「きてくれて良かった」とか言っている。
建物の中にはいると机が並んだ会社の中だ。
机の上に回路基板がいくつか置いてある。
「これを見て欲しいんです」
と言うのは昔一緒に働いていたマッちゃんだ。
彼はソフトもハードも抜群に詳しい。
私は半田ゴテを持とうとする。

次のシーンはまた道を歩いている。
友達の車はどこまで行っただろう?と考えている。
(夢の中でも記憶は残るんだろうか?)
椅子のことは忘れている。
どうやって行こうかと考えている。
(携帯とかは全く思いもつかない。)

その辺で夢の記憶は無くなっている。


5/26/2017

Roger Dean

Mucha展に行ってきた。
ミュシャのポスターは以前何度か美術館に足を運んだことがあった。
だからあまり行く元気は無かったのだけど、行こうという人がいたので一緒に行った。
驚いたのは見たこともないサイズの巨大なスラヴ叙事詩の絵だ。
1枚ではない。かなりの数の巨大な絵だった。
はっきり言って感動した。


美術館は良く行くが絵を見て本気で感動することは少ない。
だけどあの一群の絵はすごいとしか言いようがない。
ものすごい数の鑑賞する人々が部屋にあふれていたのだけど、そんなことはどうでも良かった。
あれを観ずに死ぬのは明らかに馬鹿げている。
あの場にいると観客は消えてしまいえの世界に入り込めた。
そんなことはめったに無い。
その後に一連のポスターが展示されていたのだけど、
スラブ叙事詩に圧倒されてしまいあの大きな有名なポスターが小さく見えた。

スラヴ叙事詩の絵の一部に気になるシーンがあった。
こんな風に切り取ってしまうのは顰蹙ものだと思うけれど。「原故郷のスラヴ民族」という絵の
一部なのだけれどどこかで見た気がした。
家に帰って調べてみてわかった。Roger Deanだ。

真似したわけではないと思うけれど、同じようなシーンだ。
そうだやっぱりこのシーンだ。
気が済んだ。

札幌にいた時、部屋はロジャー・ディーンであふれていた。
壁いっぱいのポスターを貼っていた。
そのポスターは今はもう無いけれど、検索したら見つかった。


この画像ではわかりにくいけれど、魔女のような人が岩に座っている。
札幌のパスコで買った。
その他にもそれほど大きくないポスターが何枚かあった。


Roger Deanはまだ健在のようだ。
私と6つしか違わない。
あの頃はRoger DeanとCriss Fossの絵を眺めながらレコードを聴くのが常だった。

                Criss Foss


5/22/2017

友達

もう終盤であることは確かなのだけど、エンディングをどうするか全く不明。
エンディングはやっぱり静かなストリングスで始まって、ボーカルが続き、そのまま盛り上がって
フルオーケストラで終わるのが理想だけど、オケが居ない。

学校に行く前から小学校、中学校、高校と、その頃の友達は今では一人もいない。
前にも書いたように同窓会の知らせは来ないので卒業してそのまま付き合いも無い。
だから今付き合っている友達は大学の時の友達、数人(片手)だけだ。

大学を出て今まで40数年、その間にできた友達は仕事かインターネットを通じて知り合った人達。
それもほとんど外国の人だから実際には会ったことも無い。

日本人で今も連絡している友達は1人か2人。
そのうち一人は札幌で知り合った人だけれど、今は連絡しても返ってこないので
実質「一人」かもしれない。
YouTubeで知り合った人だけれど、私の会社まで来てくれた。
一緒にギターを弾いて歌を歌った。
嬉しかった。
その人は時々連絡をくれる。
私はそれに見合ったことをしていない。
申し訳ないと思う。

とても感謝しています。



5/20/2017

富良野

あのドラマが始まったのは私が北海道を去った年だった。
だから始まりはとても印象に残っている。
今日、YAHOOの記事で倉本聡氏が富良野について語っていた。
確かにあのドラマは富良野を有名にしたと思う。
でもそのずっと前に富良野を世界に紹介した人がいた。
前田真三さんだ。
私は前田さんの写真を見て北海道に憧れたわけではない。
この有名な写真を見たのは北海道に行ってからだった。
札幌のアパートで、本屋で買って来た写真集を見ながら、
「へえ、北海道にはこんな場所があるんだ…」と思った。
でもなにか記憶にひっかかるものがあった。
前田という名前と北海道というつながりに何か覚えがあった。
それで思い出した。
私の学生時代の友人が「(友達の)前田さんのお父さんは北海道の写真を撮ってるんだって」
と言っていた。
その友達の名前が前田だった。
そういえば前田さんのお父さんとは電話で話したことがあったなあ、と思い出した。
その時は全く知らない人から電話が来たわけだからいぶかっていたのだろう。
ちょっと厳しい口調の怖そうな印象だった。
そうか、あの人だったんだ。と思った。

前田さんの写真集はいくつも買い込んだ。
まだ手元にある。
あの写真が1971年頃だから、その頃から富良野の景色を撮っていたのだろう。
あるいはもっと前かもしれない。
富良野を有名にしたのは前田真三さんだと思う。

私は北海道に住んでいた時、一度も富良野に行ったことがない。
近くまでは行ったけれど立ち寄っていない。
その後も一度も富良野には行ったことがない。
こんなに有名になってしまっては行くことができない。

前田さんの写真集を引っ張り出してきて眺めていよう。

5/17/2017

Rip van Winkle

リップ・ヴァン・ウィンクルという名前を聞くといくつか引っかかるものがある。
まず叔母が住んでいたのがTexas州のRip van Winkleという街だった。
私は行ったことなないが、「その名前はあの物語の場所だから?」と聞いたら、物語とは
関係が無いということだった。
でもちょっと行ってみたい気もする。

ある日中古CDショップに行って良さそうなCDを何枚か買って来た。
その何枚かの中に全く知らないCDが入っていた。
インディーズバンドの「リップヴァンウィンクル」という名前のバンドだった。
なぜそこに入っていたのかわからない。
たぶん欲しかったCDの隣にあったCDだったのだろう。確認せずに持って来てしまったのだろう。
300円だった。一度聞いて、ああいいや、と思った。

昨日「リップバンウインクルの花嫁」という映画を観た。
「ああ、なんかこういうのは後々気になっちゃうんだよな」と思いながら最初の方のシーンを
見ていた。しかし話はそういう方向ではなくとても不思議な方向に向かって行った。
すごく美しい映像だった。
観終わって時間が経ってもじわじわとくる映画だった。
何だろう?ああいう感覚はちょっとなかったなあと思う。

それで本来のお話は浦島太郎物語なのだけれど、ああいう発想は世界中にあるのだろうか?
勿論相対性理論ができるずっと前のことだけれど。
普通に生活していて時間を超越するという概念がうまれるのだろうか?

どちらも長い時間経ってお爺さんになって戻ってくると、村は数十年経っていて、という一致は
不思議だ。

5/10/2017

Belle and Sebastian ベル&セバスチャン 新たな旅だち

子供の頃というか、だいぶ大きくなっても録音された自分の声を聴くと自分の声とは思えなかった。
誰か別の人の声のような気がした。
最近ネットでそのことが話題になっていた。
それによるといろいろな理由をつけていたけれど、私は音程が違うとか自分の声は直接耳で聞くことができないとか、そういう理由ではないように思う。

子供の頃は自分の声のイメージを自分で作っているように思う。
自分はこんな感じの声で、こんな感じで話しているはず、というイメージ。
そういうものを持っていたように思う。
だからたぶんテレビやなにかで同じ年頃の子供の声を聴いた時に、自分で似てると思う声は
他人が似てるという声とは違っていたはず。

同じように自分がどんな顔をしていて、どんな雰囲気で話しているか、そういうイメージも
持っていたように思う。
たぶんそれは本当の自分とは違うものだと思う。
だけど、自分の中ではこういう感じのはずだ、と思っていたはず。

映画を観ていてそんなことを思い出した。
この映画に出てきた男の子は自分が同じ年頃の頃に思っていた理想的な自分の姿
に近いように思う。
こんな顔つきに近い自分の写真があったように思う。
それを出して来たくはないけれど、たぶんそんな風なイメージだったと思う。

実際には全然違うと思う。でもそれはそれでいい。
大事なことは自分の中にどんなイメージを思っていたかだ。
















5/03/2017

カワセミ

初めてカワセミを見たのは小学校の4年生くらいの時だった。
井の頭公園の弁財天の脇の橋(というか渡り廊下みたいな)の欄干に止まっていた。
それは一瞬の事だった。
「あ、あれはカワセミだ」と思った時には飛び去ってしまった。
しかしあの青い色はずっと記憶に残っている。

それから、ずっと、ずっと時間が経って、
自然の中でみたのは40年ぶりくらいだった。
近所の早淵川の橋を渡っていたら、水辺の木に止まっていた。
「あ、カワセミだ」、と思った時には飛び去っていた。
それにあの青だ。
あの鮮やかな色彩は子供の頃に観た衝撃に近かった。

それっきり見ないので、公園を散歩した時に管理をしている人に聞いてみた。
そしたら早淵川よりも公園裏の池でよく見かけるということだった。
裏の池の方にはあまり行かないが、まだカワセミは飛び回っているということを聞いて
少し安心した。

またどこかで会うだろう。